みなさんこんにちは。
連日、北朝鮮のミサイル発射問題など様々なニュースが話題となっています。
『北朝鮮の核ミサイル、東京に落ちたら数十万人が即死』などともささやかれています。
防衛省によると、北朝鮮は15日午前7時前(日本時間)、北朝鮮の順安付近から弾道ミサイル1発を東北東方向に発射、ミサイルは北海道渡島半島と襟裳岬付近の上空を太平洋に向けて通過し、約19分後にわが国の排他的経済水域(EEZ)外である襟裳岬の東約2200キロメートルの太平洋に落下しました。
飛翔距離約3700キロメートル、最高高度約800キロメートルと推定されています。
北朝鮮は9月3日に6度目の核実験を強行。2度の大陸間弾道ミサイル(ICBM)発射(7月)、北海道上空を通過させる弾道ミサイル発射(8月29日)を含め、今年に入って10発以上の弾道ミサイルを発射しています。
菅義偉官房長官は『短期間のうちに立て続けにわが国上空を通過する弾道ミサイルを発射したことは、地域の緊張を一方的にさらに高める深刻な挑発行為』として、『我が国として断じて容認できない』『日本国民の強い憤りを伝えるとともに、最も強い表現で非難する』と抗議しています。
そんな中、国際社会からは非難の声が相次いでおり、日本のTwitterでは『北朝鮮の現実は想像を絶していた』と紹介されている北朝鮮の女性の動画が注目を集めています!
名前は、パク・ヨンミさん(23)。北朝鮮の脱北者、そして人権活動家です!
2014年『One Young World』でスピーチをするパク・ヨンミさん
1993年、北朝鮮の恵山(ヘサン)に生まれたパクさん。生活をしのぐために闇商売をしていた父親は、逮捕され労働教化所に送られることに。飢餓に直面するようになったパクさんは、13歳で母親とともに中国へ渡った。しかし、中国で人身売買業者によって奴隷花嫁生活を強いられたため、モンゴルを経て韓国に亡命した。
現在、アメリカのニューヨークを拠点に人権活動を行なっている彼女の声が知られるきっかけとなったのは、2014年。
アイルランドのダブリンで開催された、若者を中心とした国際会議「One Young World Summit」でのスピーチだった。
北朝鮮での過酷な生活、そして脱北してからも中国で人身売買の被害に遭った彼女が、世界に訴えたこととは。
BuzzFeed Newsは当時パク・ヨンミさんが行なったスピーチを書き起こした。
パクさんは、手を胸に当て、声を震わしながらこう語りはじめた。「北朝鮮は想像を絶する国」
私は、今ここで話さなければいけません。
私ではなく、世界に伝えたいことがある北朝鮮の人々のために話さなければいけないからなのです。
北朝鮮は想像を絶する国です。テレビのチャンネルは一つしかなく、インターネットはありません。歌いたい曲を歌う、話したいことを話す、着たいもの着る、考えたいことを考える自由がないのです。
北朝鮮は、許可なしに国際電話をしたら処刑される、世界で唯一の国です。「北朝鮮の人々は、今この瞬間も自由を求め、自由のために死んでいる」
北朝鮮の人々は、今日も恐怖に陥っています。
北朝鮮で育った頃、男性と女性とのラブストーリーを一度も見たことがありませんでした。ラブストーリーについての本、曲、報道、映画などなかったのです。ロミオとジュリエットのようなものはありませんでした。
どの物語も、キムたち独裁者に関する、洗脳するためのプロパガンダだったのです。
1993年に私は生まれました。しかし、「自由」や「人権」という言葉を知る前に生まれたとともに拉致されたのです。
北朝鮮の人々は、今この瞬間も自由を求め、自由のために死んでいます。
私が9歳の頃、友人の母親が公開処刑されるところを見ました。彼女の罪はハリウッド映画をみたことだったのです。
政治体制への疑いを口にすると、三世帯の家族全員が投獄されたり処刑されます。
私が4歳の頃、母からささやきもしてはいけない、と注意されました。鳥やネズミが聞いているから。私は、それを受け入れていました。北朝鮮の独裁者たちは私の心を読めていると思っていたからです。
私たちが北朝鮮から逃げてから、父は中国で亡くなりました。私は、午前3時に密かに父を埋めました。私は14歳でした。泣くこともできませんでした。北朝鮮に送り返されるのが怖かったので。
北朝鮮を逃げた日、母がレイプされるのを目にしました。強姦したのは、中国人のブローカーでした。彼は、最初私を襲おうとしていたのです。私は13歳でした。
北朝鮮には、このような言葉があります。「女性は弱い。しかし、母親は強い」。私の母は、私を守るために、レイプさせたのです。
「人として生きていたかった」
中国では、北朝鮮の難民30万人ほどが弱い立場にあります。
その中で70%の北朝鮮人の女性、そして10代の女の子たちは、時にはたった200ドルの価格で売られ、犠牲になっているのです。
コンパスを頼りにしてゴビ砂漠を歩いて横断しました。コンパスが動かなくなったら、星を頼りに自由に向かって行きました。私たちの側には星しかいないと感じました。
モンゴルは、私たちにとって自由の瞬間だったのです。
死か尊厳か。私たちはナイフを持ち歩き、北朝鮮に送還されそうになったらいつでも自殺する準備ができていたのです。私たちは、人として生きていたかったから。
北朝鮮の人々をどう救うことができるのか、よく聞かれることがあります。あらゆる方法がありますが、いまは三つの方法を話したいと思います。
一つ目。あなたがあなた自身を大切にするように、北朝鮮で起きている人道危機への認知をもっとあげることができます。
二つ目。自由のために逃げようとしている北朝鮮の難民を助け、支援してください。
三つ目。中国に本国送還を止めるよう、申し立てることです。「誰も生まれた場所を理由に、迫害されるべきではない」
世界でもっとも暗い所に光を当てなければいけません。
これは、単に北朝鮮の人権の話ではなく、北朝鮮の独裁者たちが70年も犯してきた、私たちの権利についての話だからです。
中国が本国送還を止めるために、世界中の政府はもっと圧力をかけなければいけません。特に、この「One Young World」に参加している中国代表者のみなさんが発言することで、その役割を果たすことができるのです。
北朝鮮は、説明不可能な国です。誰も生まれた場所を理由に、迫害されるべきではありません。私たちは、政治体制より忘れ去られつつある人々にもっと注目するべきです。
「One Young World」の私たちが、この人々を目に見えるようにするのです。各国代表者のみなさん、どうか私とともに、北朝鮮の人々を自由にするためのこの世界的な動きに参加してください。
死ぬのを怯えながらゴビ砂漠を横断していた時、この世界で誰も私のことを気にしてくれていないと思っていました。星だけが側にいるように感じたのです。
でも、あなたは私の話に耳を傾けてくれました。気にかけてくれたのです。ありがとうございました。パク・ヨンミさんの現在
パク・ヨンミさんは、2015年に手記『生きるための選択』を出版。
現在はアメリカに移住し、コロンビア大学で経済学を専攻している。また、世界各国での演説やSNSを通して情報発信をしている。
引用元:BuzzFeed Japan / 山光瑛美
一方で北朝鮮は2015年2月、朴さんの親戚らを登場させ、証言はでたらめだとする動画を公開している。
2014年10月にアイルランドの首都ダブリンで開かれた、18~30歳の若者による国際会議『One Young World』に参加し、壇上で涙ながらに北朝鮮の人権改善を訴える姿が欧米メディアに取り上げられ、一躍有名になった!
脱北者の本はこれまでもたくさん出ていますが、ほとんどが北朝鮮を越えるところで一度終わります。朴さんの本は、中国やモンゴルでの逃避行など、そこでの苦しい生活を詳しく書かれています!
今までは人間不信なところもあって、自分の体験を率直に話すことはできず、あたかも母の経験のように語っていました。でも「One Young World」に出たら、自分のために泣いてくれる人がいたし、世界にも私と同じように過酷な境遇の人たちがいると実感できました。もう一度、人を信じて自分の経験を書きたいと思いました。
と、筆舌に尽くしがたい体験を綴っています。
まとめ
『パク・ヨンミ』という人物を検索すると、『パク・ヨンミ 嘘』などキーワードが出てきます。嘘であればとんでもない人ですが、本当であれば、北朝鮮は想像を絶する国となります。
北朝鮮では、金一族のことだけを考えるように言われ、とにかく生きるだけで必死だったそうです。インターネットも知らない一種の別の宇宙空間ですが、住んでいるのは普通の人です。彼女の願いは、ファッション雑誌があって、好きなアートやデザイナーについて話し合えるような国、ネットでつながって、自由に旅ができる国、そんな国に北朝鮮がなることです。そんな国になって欲しいものですね。
それでは、また!
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